気持ち良いのに満足しないのはナゼ?

女性快感優先のセックスを説いているが、どんなに悦ばせても満足してもらえないケースもある。
心当たりがある女性も少なくないと思う。
この話とセックスにおける男性の満足は同質なので一緒に書いてみる。

満足の核心

セックス最中はしっかり快感を得ているのに、行為が終わると満足してないことに気づいたりする。
性欲強すぎ?
あの人とは合わない?
何か足りないのか?
などと思いを巡らせてしまう。
本当の満足では余韻によって満足の繰り返しが起こるとも書いたが、そんな余韻が起こっても何か足りないと思ってしまうことがある。

結論から言うと、足りないのは自尊心の満足である。
自尊心とは、自らが自分自身を大切だと心から感じ、価値ある存在だと思える気持ちだ。
自信と勘違いされがちだが、自信はなくとも自分の尊さはしっかり持てる。
また承認欲求の満足とも勘違いされやすいが、承認欲求は他から得らることに対し、自尊心は自分自身が主体とした行動で得られるもので、明らかに起点が違う。
自分を自分で認めることが自尊心の獲得だ。

ではどうやったらセックスで自尊心が得られるのか?
これも結構から言うが、セックス中に本当の自分をさらけ出すことが出来ているかどうかで、自尊心の獲得に及ぶかが決まってくる。
至らなさ、不完全さ、節操のなさや、快感でヨダレが出たり、おもらししてしまったり、暴発して射精してしまったり、それら自分自身の負の状態をさらけ出せるかが自尊心の獲得には必要になる。身も心も裸になることが出来るかどうかということだ。
自分自身が心や肉体を開放した状態で、その相手があなたの存在を受け入れたなら、それは人間としての存在承認されことであり、男性であれ女性であれ、その性の存在を肯定し承認されたことになる。心の底から1人の人間として認めるられるのだから、恐らくこれ以上の悦びはないと思う。
これは自らが身も心もさらけ出したことで始まっている。相手からの承認を得るのも自らの開放度合いでリターンも変わってくる。
この心と肉体の開放がないと自尊心は満たされない
どんなに快感があっても空虚さが残るのは自らの開放が足りないからだ。
このような自尊心の獲得を信頼関係と呼ぶこともある。
また充分な快感が無いセックスで自尊心の満足うんぬんを語るのは話の次元が違う。
充分な快感かあるセックスが行える前提だ。

とことんセックスしよう

言うは易しだ。
身も心も開放するということはそう簡単ではない。少しづつ確かめながらでも、自らが開放を試みることがとても大切な姿勢だ。
だからこそ一人の相手ととことんセックスした方が良い。
他でもこのことは書いているが、同じ相手とセックスし続けることは、自らを開放するためにも有用であり大切なことだ。
さらけ出して否定されるのは誰でも怖い
だから少しづつで良い
繰り返す程に開放していけば良い

男性の満足

男性に女性快感優先のセックスを強く勧めているが、男性の満足について深く書いてはいなかった。
先に書いた投稿にこの話を加えるのは、流石に長くなりすぎるので、女性も含めて自尊心の満足について別途書いた次第だ。
男性は自尊心オバケみたいな存在だ。
自尊心を満たすために単発のセックスを繰り返し、女のケツを追いかけ回したりする。
セックス出来たという事実に欲求を照らしているのだろうが、これでは承認欲求が少し満たされる程度に留まり満足には程遠い。
だから単発のセックスを繰り返すのだが、これは不満足の永遠ループにしかならい
せっかくセックス出来た女性の本質を知ることもなく、節操のない男というレッテルを貼られていく
そうならない為にも、1人の相手としっかり向き合い、より快感の多いセックスを繰り返し、身も心も開放できる関係性を作りあげることを強くお勧めする。
最後に、こうした身も心も開放するセックスを、是非男性がリードして行って欲しい
そうすることで自然な男尊女卑が生まれるからだ
開放には勇気が要る。
進んで勇気を出すことに男らしさを感じる女性は多いと思う。

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